「信州着物の似合うまちネット」の起源となったのが、信濃毎日新聞社主催の「Waの会 着物と製糸の歴史 まちづくりに」です。初回は昨年2011年12月3日、蚕都上田の笠原工業常田館を会場に開かれました。その分科会で「製糸のまちの魅力発見」という話題を提供いたしました。
やや堅い話をすると、シルクに関わる産業は蚕糸絹業と呼ばれ、蚕種製造業、養蚕業、製糸業、絹業(絹織物業)、それらの流通業があります。「製糸のまち」はやや狭い意味で「製糸業のまち」を指します。信州(長野県)は明治時代以降、日本一の生糸の一大生産地となり、何と全国の40%近い生糸を生産していました。「蚕糸王国長野県」と呼ばれたのもうなずけます。
日本の製糸業がピークをなしたのが世界恐慌が起きた1929年(昭和4年)の前後です。世界恐慌でシルクの相場が暴落し、その後は経済的な不況、シルクに代わる安価なナイロンの普及、戦争への突入という状況が重なり、蚕糸絹業は大打撃を受けました。戦後、経済復興と共にシルクの生産は持ち直したものの、中国産などの安価なシルクに押され、生活文化の変化と共にシルクの需要が減少して今では「製糸のまち」は昔ばなしとなってしまいました。
しかしながら、50年前には現役の製糸工場は各地にありました。製糸業が衰退してまだそれほど長い歳月が経ったわけではありません。地域の様子を観察してみると「製糸のまち」の面影は至るところに残っています。そのことを意識して地域を訪ねてみると、これまでに気づかなかった「製糸のまち」の姿が見えてきます。
製糸のまち岡谷
製糸業には水が欠かせません。諏訪地域は諏訪湖に面し、製糸業が発達するのに有利な条件が揃っていました。その中心になったのが岡谷です。近代的な器械製糸が盛んになるといくつもの製糸工場が岡谷(当時は平野村)に集中的に立地して、全国一の製糸のまちとなりました。そうした製糸のまち岡谷の記憶は「岡谷蚕糸博物館」に保存されています。現時点では、蚕糸博物館は移転中のため休業しています。博物館のこの建物は取り壊されてもう見ることができなくなります。
製糸のまち須坂
須坂も製糸業で栄えたまちです。製糸のまちは多くの女子工員が暮らしていたまちでもありました。そうした製糸のまちの面影は、白壁の建物の町並みに見ることができます。須坂のまちには各所に製糸のまちの文化遺産と思われるものが数多く残っています。一般の民家の中にすら、それが繭倉ではないかと思われるような建物が散見できます。
製糸のまち松代
写真は六工社(ろっこうしゃ)の松代工場跡です。現在は松代総合病院の駐車場になっています。この駐車場の区画が六工社の工場の区画です。松代と言えば真田氏の城下町として知られています。松代が製糸のまちであることを知る人は少ないかもしれません。最近になって和田英(わだ・えい)さんの著書『富岡日記』が有名になりました。和田英さんは創業当時の富岡製糸場で工員として働いた後、松代に戻って製糸場「六工社」を起こします。松代は古くから蚕糸業が盛んだった地域です。「製糸のまち松代」は、おそらくこれから再評価されていくものです。
製糸のまち丸子
製糸のまち丸子に「カネタの煙突」が残っています。丸子中央総合病院の駐車場の中にあります。レンガ造りの古い煙突のため崩壊しないように上部が取り壊されて下部のみが保存されています。旧丸子町(上田市丸子地域)は明治以降、器械製糸で栄えた地域です。数多くの製糸場が林立していましたが、外国へ質の高い生糸を輸出するため企業結社「依田社」が創られました。生糸の生産量はピーク時には全国で4番目(1番目は岡谷)の位置にありました。現存する製糸場の遺構が数少ないのが惜しまれます。
製糸のまち上田
その昔の「上田」は現在の中心市街地に相当する範囲の旧上田町を指します。
その旧上田を代表する製糸場が笠原工業常田館製糸場です。1900年(明治33年)、当時の上田町から要請されて当時の平野村(現在の岡谷市)から移転し創業した笠原組が起源です。5階建の木造繭倉は壮観です。昔、製糸のまちにはどこにもこのような製糸場の建物があったはずですが、富岡製糸場(1872年創業、群馬県富岡市)を除くと、今はほとんどどこにも残っていません。
笠原工業常田館製糸場は現存する希少な歴史遺産です。
旧上田町は繭や生糸を取り扱う商人のまちでもありました。上田市の中心市街地をよく観察するとその面影が発見できます。「萬伍の蔵」もその一つです。原町の呉服商・成澤家が経営していたのが「萬伍」です。ことさらに説明を受けないとその存在すら気づけないかもしれません。
長野県内には製糸のまちは他にもあります。あなたがお住まいのまち、お近くのまちに「製糸のまち」の面影を見つけてみませんか? そこから製糸のまちの歴史、製糸のまちの魅力が見えてくるはずです。その地域だけでなく、他の地域と比べてみるとさらに「魅力」が響き合っていくのではないでしょうか。
(ミッチー)