皇居前に上田藩上屋敷があったとは驚き

ここはどこでしょうか?

もうおわかりですね。皇居の二重橋の前です。
江戸時代はここに江戸城があり、二重橋の前の辺りには大名屋敷が建ち並んでいました。しかしながら、全国の大名が大勢の家来を従えて江戸に暮らしていたわけですから、大名屋敷の数は多く、広大な敷地を必要としました。

大名屋敷のうち、主たる屋敷を江戸上屋敷と呼びます。いわゆる徳川御三家と呼ばれた尾張家、紀伊家、水戸家の江戸上屋敷は江戸城から少し離れた場所にありました。

皇居の二重橋の前の辺りは江戸上屋敷の中でも特等席です。何とその特等席の位置に信州の上田藩の上屋敷があった時期があります。
その論より証拠が次の地図です。嘉永2年(1849年)3月と記されています。

(「〔江戸切絵図〕御江戸大名小路絵図」 所蔵:国立国会図書館)
これでは地図が小さすぎてよくわからないので、もっと部分拡大してみましょう。

(同上)

上田藩とは記されていません。地図上は藩主の肩書きが記されています。松平伊賀守(まつだいら いがのかみ)が上田藩主です。当時の上田藩主は松平忠固(まつだいらただかた)です。老中をつとめていました。

皇居前の特等の位置に上田藩上屋敷があったのには理由があります。つまり老中をつとめていたので特別待遇だったわけです。今で言えば総理大臣が首相官邸に暮らすのと似ています。ただし、当時の上屋敷は家来一同も暮らしていたので、その規模は大きなものです。

ちょうど次のあたりに上田藩上屋敷がありました。

方角を変えてみると次の辺りです。

で、なぜ、この話題が「絹の道」と関係があるのでしょうか。実はおおありなのです。この話の続きはまた後日、ということにしておきましょう!

(ミッチー)

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