歴史を学ぶ冊子『蚕都上田ものがたり』

冊子『蚕都上田ものがたり』を刊行しました!

「蚕都上田プロジェクト」では、かつて「蚕都」と呼ばれ蚕糸業で栄えた上田の歴史・文化を広く発信していくための活動を進めています。上田ではこうした郷土史の研究・学習が盛んな一方で、「歴史って難しそう」と尻込みしている人もおられるようです。

そんな方々に向けて、また、上田のことをもっとよく知りたいという方々に向けて、歴史を学ぶ楽しさを知っていただく”はじめの一歩”として、「蚕都」の歴史・文化に関わる人々や出来事の「物語」「年表」をご用意しました。様々な「ものがたり」を紡ぎ出す歴史をあなたも発見して見ませんか?

▲冊子『蚕都上田ものがたり~歴史のとびら~』

『蚕都上田ものがたり』が「物語る」もの

蚕都上田と言うと、「蚕糸業」(蚕種製造・養蚕・製糸)を連想してしまう方が多いようです。「『蚕都上田』はそれだけではないんだけどなあ…」というのが、物語を編さんしようと思った最初の視点でした。蚕都上田が栄えた主力産業が蚕糸業であることは間違いありませんが、実は、蚕糸業という幹から花開いた産業や文化などの豊かなものの全体が蚕都上田ではないか、という視点からピックアップした物語が冊子に収めた6つの物語です。次にその物語を2つピックアップしてご紹介します。

●日本初の輸出生糸は上田から

日本が貿易で栄え世界有数の経済大国になって久しくなります。その魁をつくったのが上田藩主松平忠固(まつだいら・ただかた)であることを知る人はあまりいないようです。忠固は幕府の老中をつとめ、開国・貿易推進の姿勢を明らかにして、上田藩の物品も外国に輸出することを仕掛けました。その結果、上田の若き商人伊藤林之助らが、後に幕末最後の貿易商となる中居屋重兵衛と連携して外国との生糸貿易を始めます。上田藩主が生糸貿易を誘引し、上田の商人が初めて日本から外国へ生糸を輸出するという歴史をつくりました。

●その時、上田は日本のウォール街だった。

長野県を代表する銀行である八十二銀行は蚕都上田から生まれました。生糸の生産や輸送には多大な資金の融資を必要としました。その支援のために欠かせないのが銀行です。八十二銀行の前身となる国立第十九銀行が上田に開業したのは1877年(明治10年)のことです。蚕糸業の中心地であった上田には、その他にもいくつもの銀行が生まれました。明治17年、小県郡内における私立銀行は8行、銀行類似会社は83社もありました。「その時、上田は日本のウォール街だった」のです。十九銀行は岡谷に支店も出し、日本一の岡谷の製糸業を金融面で支え、蚕糸王国長野県の発展に多大な貢献をしました。

「蚕都上田年表」も面白い!

『蚕都上田ものがたり』の冊子の裏側には「蚕都上田年表」を載せてあります。「蚕都上田」は一般的には蚕種製造と生糸輸出がピークを迎えた20世紀前半の頃の盛況を指しますが、実はそこに至るまでの長い歴史にその奥深さがあります。16世紀末、真田氏が上田城を築いた後、上田藩は仙石氏、松平氏の時代を迎え、地場産業となる養蚕や絹織物を奨励しました。幕末の頃には蚕種製造では日本の中心となり、明治以後の器械製糸の発展に欠かせない蚕種の改良も行って蚕糸王国日本を支えました。年表は「上田縞・紬」「蚕種・養蚕」「生糸・製糸」「生糸輸出」「交通網の発達」「商都上田」「学都上田」の複数の軸で数多くの出来事を年表にマッピングしてみました。

冊子をgetするには?

冊子『蚕都上田ものがたり』は、上田市内の主な公共施設で無料配付しています。お手数でも以下の最寄りの場所へ足をお運びください。

<主な配付場所> 上田市役所(上田地域、真田地域、丸子地域自治センター)、上田市観光会館、池波正太郎真田太平記館、上田商工会議所、長野大学図書館、など

遠地の方、ある程度まとまって部数を必要とする方は、蚕都上田プロジェクトまでその旨ご連絡いただきますようお願いいたします。

<蚕都上田プロジェクト事務局>
〒386-1298 長野県上田市下之郷658-1 長野大学・前川道博研究室
電話 0268-39-0187 (前川道博研究室)

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