新幹線の車窓から見る蚕都上田の製糸場

蚕都上田は製糸のまち

皆さま、蚕都上田へようこそ!
その昔、信州上田はお蚕さんで栄え、蚕都(さんと)上田と呼ばれました。また蚕種・繭・生糸などでも全国につながっていました。

蚕都上田を最も印象的に伝えてくれる建物が「笠原工業常田館製糸場」です。製糸業の全盛期には2,000人近い社員がここで働いていました。製糸場は敷地が広く、建物が大きく、何棟も建物があります。近づいて見るよりも、遠くから見る方が全体が眺望できます。そのベストポジションが長野新幹線の車窓です。ここでご紹介する写真は実際に新幹線の車窓から見たままの風景を綴ったものです。

製糸場は昔は全国どこのまちにでもあったはずですが、現存する製糸場は富岡製糸場以外にはほとんどありません。そのような希少な製糸場の歴史遺産が上田に残っています。新幹線で上田を通過する際には、ぜひ、この製糸場を眺めてみてください。「製糸のまちはこういう景観だった」ということがわかります。こんな景観を見過ごしたら、もったいないですよ!

新幹線(下り)の右手にご注目!

長野新幹線(下り)に乗ると、次のように「製糸場の風景」が見えてきます。上田駅が近づくと新幹線はしだいにスピードダウンし、車窓の風景がよく見えてきます。進行方向の右手にイオンが見えてきたらそのまま進行方向をよく見てみてください。イオンの下にホリディスポーツクラブという建物が見えてきます。その奥に白壁、瓦屋根の建物や煙突などの古い建物群が見えてきます。

▼長野新幹線(下り方向) イオン上田店(右奥の土手)、スポーツクラブ(その手前下)

その古い建物群が笠原工業常田館製糸場です。1900年に創業して以来、上田の製糸業を代表してきました。中央に見える白い大きな木造の5階繭倉庫は、1908年(明治41年)の建物です。製糸場ではたくさんの繭から生糸を紡いでいました。そのためたくさんの繭を貯蔵しておく施設が必要でした。それが繭倉庫です。一般には「繭倉」(まゆぐら)と言います。

左側に見えるサイコロのような建物にもご注目ください。鉄筋繭倉庫です。鉄筋の建物だと火災が起きたとしても延焼の被害を受けずにすみます。1926年(大正15年)の建物です。長野県内に現存する鉄筋コンクリートの建造物としては最古のものです。

▼笠原工業常田館製糸場:サイコロ(左、5階鉄筋繭倉庫)、5階繭倉庫(右)と煙突

車窓にはまた新たな建物が見えてきます。手前の道路に面した瓦屋根の建物は、男子風呂場と炊事場です。製糸場では女子社員が多く働き、生活していました。その胃袋を支える炊事場は製糸場には欠かせないものでした。風呂場も同様です。製糸場は製糸業の衰退とともに全国から姿を消し、建物も失われていきました。製糸場の風呂場・炊事場が現存する製糸場は日本全国でも希少なものです。

▼5階繭倉庫(正面奥)、風呂場・炊事場(手前)

何と言っても一番目に付く建物が5階繭倉庫です。建物は巨大ですが、大きな柱は一つもありません。普通の太さの柱と薄い板でこの大きな建物が造られています。レンガ造りの富岡製糸場とは全く異なるタイプの繭倉庫です。日本の構法が活かされています。背景の土手沿いに生えているケヤキの木が織りなす景観にもご注目ください。背景の樹木、製糸場の趣のある建物が調和した美しい景観になっています。新緑のとき、紅葉の時は特に美しさが際だちます。

さらに進むと白壁に瓦屋根の建物が見えてきます。4階繭倉庫です。1912年(明治45年)の建物です。

▼4階繭倉庫(竹やぶの奥)

この繭倉庫を過ぎるとすぐ上田駅のホームに入ります。上田駅のホームからでも笠原工業常田館製糸場は眺めることができます。上田駅から歩いても5分程度の距離です。

▼上田駅前の真田幸村公像

上田と言えば真田氏が有名です。真田氏が築城した上田城は江戸時代になって仙石氏、松平氏の居城となりました。そうした城下町・上田とともに「製糸のまち上田」の歴史遺産も訪ねてみませんか?

(ミッチー)

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