上田マルシェが終わったら、脱力してしまい、しばらく更新をさぼっておりました。すみません。
何回かに分けて、岡谷蚕糸博物館の紹介をしていきますね
その1 片倉家は偉かった!
今年8月にリニューアルオープンした岡谷蚕糸博物館「シルクファクト」に行ってきました。富岡製糸場の世界遺産指定にともない、製糸業の歴史が注目されているタイミングで新装オープンしたというすばらしいタイミング。来場者も多く、1カ月足らずで一万人達成しました。
その博物館移転に尽力されたのが、館長の高林千幸さん。蚕糸学会の会長でもあり、シルクの世界ではとても有名な方。そして、とても熱っぽく製糸の歴史を語ってくださったのでした。(時々、オヤジギャグも入れながら・・・)
さて、その熱血解説とともに、展示の一部を紹介します。
まずは入り口から。
昭和11年に当時の平谷村から岡谷市になった記念で描かれたオカヤの絵が飾られています。本物は収納庫にあり、ここにあるのはレプリカ。製糸の岡谷として栄えたころの様子が描かれています。
製糸は明治時代から昭和初期まで、日本の近代化に貢献した大産業でしたが、全国の11%を岡谷で生産していた時代がありました。諏訪湖から豊富な水が使えたこともあり、約200の製糸場があったそうです。生糸や燃料を運ぶための鉄道も明治39年に開通。製糸の相場を伝えるために、いち早く電信電話の設備もひかれたそうです。
当時の人口、7万人のうち、製糸の工女さんは3万人と半数近く。
一つの村だった地域が短期間に急激に産業化が進み、人口が増え、発展した例は近代史の中でも珍しいことだそうです。
さて、注目の富岡製糸ですが、実はそこで稼働していた古い機械は岡谷蚕糸博物館にあります。(富岡にあるのはレプリカです)
それは、官製だった富岡製糸場の創業を引き受け、創業停止後も施設の維持に尽力した片倉家のおかげであります。
片倉家は岡谷発祥の製糸家。昭和14年に富岡製糸と合併し、昭和62年に操業停止した後も、建物は壊さず、売却せずと頑張ったおかげで、いまの世界遺産につながるわけです。年間の維持費は1億円!
(年表)
この年表のうち、三代片倉兼太郎さんが近代製糸の歴史を伝えるため富岡製糸場などの製糸機械などを収集し、昭和18年に上諏訪に「懐古館」を建設し、展示していました。それが昭和33年に地元である岡谷市に寄贈され、この博物館のスタートとなった訳です。
3代目の収集がなければ、貴重な機械は廃棄されていたはず・・・この博物館もなかったはず。そう思うと感謝しないといけませんね。
このほか入り口には岡谷の製糸業を支えた銀行家、黒沢鷹次郎の銅像もありますのでお見逃しなく。
と、ようやく博物館の中に入った次第です。