やまとや呉服店さんから、昔の目録が出て来ました、という連絡をいただき、お話をうかがいに行ってきました。
「トランクから出てきた目録」
しなの鉄道の屋代駅前にある「やまとや呉服店」は、平成26年3月で創業90年。
90周年にあたって初代中村芳治(よしじ)さんが残したトランクを調べていると、大正13年に小諸の大和屋呉服店から暖簾分けしてもらった時の目録が出てきた。
孫のトモエさん(54)によると「明治28年に農家の4男として生まれた祖父は、東条村尋常小学校を卒業後、大和屋号掛川商店さんで丁稚として働き始めたそうです」。
芳治さんは『小諸商人太平記』という本の中の丁稚物語に「無茶ぜん」というあだ名の番頭として登場している。
「名前の芳が善-ぜん と変化したようです。とても厳しい人だったそうですから、丁稚さんにも厳しかったのでしょう。祖父は昭和14年に44歳で他界し、祖母から父へ細々とで90年。私も一緒に30年やってきましたが、この目録の存在を初めて知りました」
15年間勤め上げた芳治さんが退店・分家する時の目録から、時代を知ることができる。
「小諸は商人修業の町」
明治から大正初期にかけて「小諸奉公」という言葉があったという。
小諸は北国街道の宿場町であり、関東から碓氷峠を越えて運ばれた物資が集散する商都として繁栄。
明治26年に信越線が全線開通して物流が変わった後も、小諸商人は経営の合理化や近代化に努め、奉公人を大事に育て躾に心を配ったことが知られる。
仕事を身につけるとともに一種の人間修行が行われ、「信州で一人前の商人になるなら、まず小諸へ行って修業」という時代があったのだ。
大和屋呉服店は県内有数、小諸一の豪商といわれ、奉公人が50人、蔵が18。作曲家の中山晋平が丁稚奉公に入ったものの、3カ月で耐えきれずに帰ってしまったという話も伝わる。
昭和63年に閉店し、跡地には長野銀行が建っているが、蔵が2棟残っている。