あなたのまちの桑園を探そう!

あなたも自分のまちの桑園を探してみませんか?
そもそも桑園(そうえん)とは何でしょうか? 桑畑とも言います。桑の木がたくさん植えられている畑が桑園です。

ちなみにこれは信州大学繊維学部にある桑園です。現代ではこのような広大な桑園は滅多に見ることができません。

ここにいる小さな虫が蚕です。蚕は桑の葉をたくさん食べて、みるみるうちに大きく育ちます。こうやって日本の着物文化の最高峰とも言える絹織物の着物が生み出されます。つまり桑園は着物の原料の生産地なのです。

昔、日本では全国で数多くの農家が養蚕をしていました。蚕という生物はある意味ぜいたくな生物で、桑の葉しか食べません。しかもたくさんの桑の葉を食べます。養蚕をするために広大な桑園が必要でした。養蚕とは蚕にすくすく育ってもらうために桑の葉を桑園から摘んで運ぶ作業であったと言っても過言ではないぐらいです。長野県は至るところに桑園があり、普通であれば土地利用のしようがなかった川の河川敷や山々の傾斜地までもが桑園でした。

今では養蚕農家は極めて少なくなりました。かつて蚕都上田と呼ばれた長野県の上田小県でも養蚕農家はなくなりました。しかし桑園は意外にも残っていることがあります。ではどこに残っているのでしょうか? そもそもどうやってその場所を探すことができるのでしょうか?

そのよい方法をお教えしましょう。国土地理院の地形図はご覧になったことがあると思います。5万分の1地形図、2万5千分の1地形図は書店で購入することができます。

ふむふむ。「凡例」というところに「桑畑」と書いてあります。今も本当に桑畑があるのでしょうか?
ものは試しです。地形図で桑畑のマークをチェックしてみましょう。桑畑のマークはY字の下にL字が重なったものです。黄色く塗りつぶしてみます。

2万5千分の1地形図の「丸子」を試しに塗りつぶしてみました。
▼2万5千分の1地形図「丸子」 桑畑を黄色くマーキング

この地図は旧丸子町(上田市丸子地域)から旧北御牧村(東御市)、立科町、旧望月町(佐久市)辺りのエリアです。丸子には桑畑は少なかったのですが、旧北御牧村~立科町~旧望月町の一帯はかなり黄色くなりました。
これだとわかりにくいので、もっと望月の辺りを部分拡大してみます。

驚きました。本当にこんなに桑園が残っているのでしょうか?
あなたも地図を見て桑畑のマークを見つけたら好きな色で塗りつぶしてみませんか!?

(ミッチー)

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