まちと着物がどう結びつくのかを知るよい方法があります。それは古い地図を見ることです。
江戸時代の地図を見て、今のまちと結びつけることは少し難しいですが、明治・大正・昭和という時代は意外に古くて新しいことに驚きます。今から3年ほど前の2010年春、蚕都上田プロジェクトが冊子「蚕都上田マップ(蚕都上田歴史・文化財マップ)」を作りました。この冊子には蚕都華やかなりし時代の上田市の中心市街地マップを載せています。
何とこのマップに描かれた上田市は1928年(昭和3年)の姿なのです。中心市街地の都市の構造は昔も今も大差なく、解説をしないとついつい今のマップと勘違いしてしまうぐらい。上田城があります。上田駅があります。中心市街地の構造が何となく今と違って見えません。
しかしよく見ると、中心市街地の周辺には何となく緑色が広がっています。これは桑園です。全部が桑畑です。中心市街地の商業地は赤紫色になっています。これも今とはやや違います。よく見ると「北国街道」沿いに商業地が展開していたことがわかります。市街地をふかんしてしまうと、大局的に状況がよく見えてくるから不思議です。
現在の中心市街地の商店街の一つ原町商店街の辺りは、その昔、呉服店などが多く立地していた商業の中心地です。その中でも「万伍」は江戸時代からの豪商として知られていました。「呉服商 万屋 成澤伍一郎」です。この周辺は歴史の宝庫です。上田の歴史が詰まっています。
万伍を解き明かすと上田の歴史までがよく見えてきます。上田縞・上田紬を扱っていました。また成澤家は上田の名家で、後に上田銀行頭取や上田市長も成澤家から出ています。
地図は大きすぎて細部を見てみないと、実際のまちの姿はよく見えてきません。そこでものは試しで何となく大きな敷地を占めている場所に寄って見てみることにしましょう。
古い地図なので漢字が旧字でやや難しく、「上田蚕種株式會社」「小縣蚕業學校」「上田蚕絲專門學校」と書かれています。「蚕」と書いてあるのでとてもわかりやすい。本来なら「蚕」ではなく「蠶」と書きます。本当は「上田蠶種株式會社」「小縣蠶業學校」「上田蠶絲專門學校」と書くべきところ、地図に記す文字はとても小さいので略字の「蚕」が使われているのです。「蠶」をカイコと読めますか? 天の虫と書いてカイコと読むのは戦後のことです。
「上田蚕種」は現役の企業です。「小県蚕業学校」は現在の「上田東高校」、「上田蚕糸専門学校」は現在の「信州大学繊維学部」です。
▲この建物が上田蚕種です。
その昔は養蚕に必要な蚕の卵(蚕種=さんしゅ)を製造していました。上田は蚕種製造の全国の中心地、その中核施設がこの上田蚕種株式会社です。大正年間に建設されたこの事務棟は大正ロマン漂う雰囲気で、映画やドラマのロケーションにもよく使われます。着物を着て歩いてみたらタイムトリップしたようなベストショットになりますよ!
この地図を持って、上田をまちあるきしてみたら、大正時代や昭和時代の見えないまちを歩いているような感覚になります。見えない風景がそこに見えてきます。あなたも着物を着て、蚕都上田の歴史の風景を感じてみませんか?
★「蚕都上田マップ」はネットからもPDFでダウンロードできます。
蚕都上田館(上田市観光会館隣)でも配付しています。
4月以降にお立ち寄りいただけますと、冊子「蚕都上田マップ」を入手できます。季節のよい時にぜひ蚕都上田館にお立ち寄りください。
開館情報は以下をご覧ください。なお12~3月は閉館しております。
(ミッチー)