城下町小諸を着物で歩きました

7月6日、城下町小諸を着物で歩きました。

お天気にも恵まれ、歴史の街並み、格子戸の趣に、日傘と着物姿がよく似合う風情でした。

小諸駅前の停車場ガーデンから大手門、北国街道小諸宿本町商家の街並み390メートルを、ボランティアガイドの清水さんの案内で、驚いたり、笑ったりしながら歩きました。

荒町には結城屋さん。
江戸後期の建物で、当時の町屋の形を残しているそうです。
こちらはかざられていたおいらん下駄を試しているところ。

おおきいですね~

老舗の柳茂商店は県内各地にのれん分けして数十店舗あるという豪商。
その前を過ぎて、海応院のなだらかな参道を上がりました。
門をくぐると推定樹齢370年余りの潜滝の松。圧巻でした。

本堂では徳川二代将軍秀忠から賜ったという品を特別に拝観しました。

海応院は天文5年創建された曹洞宗の古刹。戦国時代の昔は小諸城内五軒町にありました。関ヶ原合戦のとき、徳川秀忠の率いる東軍が、上田城に籠城する真田氏を攻撃、有名な上田合戦ですが、その和睦の仲立ちをしたと言われています。これにより徳川家より賜った高麗茶碗や団扇が今も受け継がれています。
(小諸市観光協会より)

市の花コモロスミレ発見の地でもあります。

参道を降りて、酢久本店。

江戸中期から酢・味噌醬油を醸造、関東から仕入れた畳表、かつお節、茶、塩などを取り扱う問屋業としても成功し、小諸藩の御用商人もつとめていたそうです。今の建物は明治時代に呉服商から買ったもの。

続いて小山久左右衛門邸。彫刻のある立派な看板。

そして嶋田屋は、世界遺産登録で注目されている富岡製糸場の繭買い入れ取り次ぎの御用を命じられた高橋平四郎が幕末に建てた家だそうです。

高橋平四郎は多くの小諸藩士の娘さんを集め、富岡に送ったそうです。金銭面でも支えて、一等工女として技術を習得させた後、小諸に帰ってからは質の高い生糸を生産させたのです。糸都小諸をつくった人でもあります。

明治6年に改行した丸万製糸工場は、日本で最初の民営製糸工場だともいわれています。

荒町から相生町を下り、出発したところに戻ってからは、みなさんで着物談義に花をさかせました。

歴史の宝庫、小諸。
次はどこへ行きましょうか。

※写真はプリントしたものの接写です

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